猛烈に怒っている。
腹の底のマグマが煮え立ち、食道を滝登り、口からこぼれ、滴り、大地を焼き焦がすほどに。
地団駄ひとつで地球にパックリと割れ目ができ、その振動でこの世のあらゆる建物が崩壊し、天にぶら下がっている月も太陽も落ち、世界が永遠の闇に包まれるほどに。
それほどまでに、僕は怒っている。
この間、友達と温泉に行った。
ただお目当てなのは温泉ではなく、温泉内で食べられる料理。
温泉には足一本浸からず、僕たちは一直線に券売機に吸い込まれていくのだが、券売機の前で「何がオススメなの?」と聞くと、会員証もバッチリ持ってる友達がニヤリと口元を吊り上げながら、
「カレーうどん」と、一言。
でた、カレーうどん。
いやー、まさかその名前をここで聞けるとはね。
うどん界の中で頭ひとつ抜けているカレーうどん、いやカレーうどん先輩。
カレー単体でも「マツコの知らない世界」でブイブイ言わせるほどの力を持っていて、「好きな食べ物は何ですか?」と街頭インタビューをとれば、余裕でランクインしてしまうほどの敏腕選手。
この質問でおおよそ上がってくる選手が、ハンバーグ師匠、唐揚げさん、寿司兄貴、そしてカレー先輩だ。
そんな四天王に君臨する先輩だが、先輩は他の先輩たちと違って、スピンオフ作品がたくさんある。
カレーパン、カレーコロッケ、カレーピザ...
どれも競争が激化し血で血を洗う殺伐とした界隈だが、先輩はその暖簾にひとたび手をかければ、あっという間に上位どころか天下にさえ手が届いてしまうほどの強者である。
本人的には「やってる?」なんて軽いノリだが、カレーがもたらす影響力はそれほどまでに凄みがある。
ちなみに日陰者のパクチーは、舞台袖で延々と爪を噛み続けるだけで一生の幕が閉じる。
残酷なことだが、才能とは生まれた瞬間神によって不平等に分け与えられるものだ。
そんなワケで、僕は言われるがままにカレーうどんのボタンを押した。
そうは言っても、カレーうどんは小さい頃から超が付くほど大好物だし、何より僕の好みと友達のオススメが一致して嬉しい。
期待を胸に着席し、雛鳥のように口をパクパクして料理が到着するのを待つ。
で、しばらく待ってやってきたカレーうどん先輩。
優勝力士が飲む盃くらいデカい器だが、ははーん、なるほど。
これがオススメするワケか、確かにこれは勧めたくなる。
どろりとした甘いカレーをうどんに絡め、それを豪快に啜る。
この時、僕には「ウマい」以外の感情が、理性が、一切消える。
理性を失った僕は目の前にある盃にむしゃぶりつき、悪戯に先輩を服に撒き散らしながら、ただひたすらに啜っていく。
ーーー幸せだった。
時の流れが、このカレーうどんのようにどろりと遅くなっていく。
もちもちとしたうどんを一口啜るたび、口いっぱいに先輩を感じられる。
それは、温泉に入らずとも心身のデトックスは可能であると証明された瞬間だった。
「そういえばさ」
ざるそばに赤子のように抱きついて離さない友達が口を開く。
「そういえば、Tいるじゃん」
Tとは僕と彼の共通の友達だが、ここでは仮に田中としておこう。
「田中がどうかしたの?」
「田中って、カレーうどん嫌いらしいよ」
「へぇ〜、そうなんd
はぁぁぁあああぁぁぁああああああ!?!?!?!?!?!?
俺はキレた。
カレーうどんが...嫌いだと?
田中、オメェついに味覚がバカになったか。
「好きな食べ物は何ですか?」もとい「好きなうどんは何ですか?」と問えば、確実にランクインするであろうカレーうどん先輩が嫌い?
ちびっ子からお年寄りまで、男性から女性まで、数多の垣根を超えて愛されているカレーうどん先輩が...嫌い?
いやいやいやいやいや。
カレーうどんが嫌いとかありえねぇ。
つーか田中、お前カレー好きっつってたろ。
うどんも馬鹿みてぇにむしゃぶりついて食ってただろ。
そのウマいもんとウマいもんを混ぜたら、スーパーウマいもんになるに決まってるだろうが!
なんでかなぁ、なんで嫌いなのかなぁ、なァ!!!!!
気がつくと僕は温泉を飛び出し、田中のいる家まですっ飛んで行った。
許せなかった。
腹の底のマグマが煮え立ち、食道を滝登り、口からこぼれ、滴り、大地を焼き焦がすほどに。
地団駄ひとつで地球にパックリと割れ目ができ、その振動でこの世のあらゆる建物が崩壊し、天にぶら下がっている月も太陽も落ち、世界が永遠の闇に包まれるほどに。
それほどまでに、先輩を侮辱する人間が許せなかった。
尋問、詰問、最悪拷問でもして、如何にしてカレーが嫌いなのかを田中から問いたださなくてはならない。
「おい!田中!」
「...んぁ?」
「オメェカレーうどんが嫌いってどういうことだ!」
「あぁそれね、別にカレーうどんそのものが嫌いってワケじゃないんだ」
................は?
脳がショートした。
ショートついでに、田中の言葉を頭の中で反芻し理解してみる。
「カレーうどんは嫌いだけど、カレーうどんは嫌いじゃない」
やっぱり脳がショートした。
それはこの世で最もわかりやすい矛盾の例だった。
「矛盾」と辞書で引いたら真っ先に出てくるであろう例だった。
嫌いだけど嫌いじゃない。
乙女か?乙女なのか?
田中、田中よ、お前いつから乙女になったんだ。
脳が知恵の輪のようにこんがらがって解けない。
そんな滑稽な僕を見た田中は、この惨状を理解したのか言葉を注ぎ足した。
言葉をすくうと、どうやら田中はカレーうどんの味は好きらしい。
では何が嫌いなのか。
彼が言うに、カレーうどんの「システム」が嫌いだそうだ。
...なるほど。なるほど、そういうことか。
脳の氷河期が一瞬にして春を迎えた。
僕自身、先ほど先輩を撒き散らしながらうどんを食べていた。
だが実際は、僕が撒き散らしたワケではなく、先輩自身が暴れ撒き散らしていたのだ。
カレーうどん先輩はマジでスーパーにカッコいい先輩だが、少々ヤンチャな節があるのもまた事実。
ひとたび啜ろうものなら、ハーレーでドリフトをかますほどの凄まじさで暴れ狂う。
けれど、そのあまりのカッコよさに魅了されている僕は全く嫌悪感を示さない。
到底理解できないが、中には衣服が汚れ悲しみに暮れる者もいるそうだ。
しかし、この価値観を否応なしに否定するのは、昨今の多様性を認め尊重する時代に反している。
時代に即した生き方に倣う僕は、「そういう人もいるのか」と意見を丸めて咀嚼した。
「ま、まぁ確かにカレーうどんって汚れるもんな。わかるよ、その気持ち」
「え?いや別に汚れるのはイヤじゃないけど」
再び氷河期が訪れた。
マグマが溢れ出たり世界が暗転したり、もうこの地球はメチャクチャだ。
振り出しに戻された僕は、田中を電気椅子に縛り付けて問いただしてみた。
「何てゆーかな、本来カレーってライスと一緒に食べるのが一般的じゃん」
「で、カレーってカレーとライスをスプーンで好きな量すくえるじゃん」
「でもさ、カレーうどんってカレーがうどんに纏わりついてるから、どうしても啜る時に滴っちゃうじゃん」
「だから俺はカレーうどん嫌いなんだよね」
コイツはさっきから何を言っているんだ?
ダメだ、今どうしてもコイツをタコ殴りにしたい。
だが考えることをやめてしまったら、何より先輩に申し訳が立たない。
このポケットから取り出したイヤホンの紐くらいこんがらがる文章を、ひとつひとつ丁寧に解いていこう。
そして長考の末に辿り着いた答え、つまるところ田中が言いたいのはこういうことだ。
1.カレーというと、カレーライスが最もベーシックな料理である。
2.カレーライスは、スプーンですくうことができるため、カレーとライスの配分を自由に決めることができる。
3.しかし、カレーうどんはその性質上、配分を自由に決めることはできない。
4.よって、本来のカレーのシステムと逸脱するため、カレーうどんが嫌いだ。
その言い分に、シンプルに殺意が湧いた。
お前をうどんで締めてやりたい。