チンコは世界を救うのだ!

学校生活を送るたび、僕はその生活に少しずつ退屈してくる。
毎日同じ制服に袖を通し、毎日同じ学校へ行き、毎日同じクラスメイトと顔を合わせる日々。
校内のどこを歩いても見慣れた顔で溢れていて、友達と話すことはいつもくだらない話ばかり。

今日の天気、今日の時間割、今日の部活、近づく期末テスト。
すでに確定した事実に、僕も含めたクラスメイトは気だるく一喜一憂する。
僕は、いや僕たちは、学校という小さな箱庭で過ごす日常に、ほとほと退屈していたのだ。

だがそんな箱庭から逃げ出す勇気もない僕たちは、ただ日々を惰性で過ごす他ない。
黒板に板書された文字を手元にあるノートにコピー&ペーストし、教師が発する声を耳で流しながら爪を眺める空虚な毎日。



教室に、時計の針の音がこだまする。
花瓶に刺さった花びらが、一枚、また一枚と落ちる。



実に退屈でつまらない、まったくサイテーな学校生活だ。
誰か、誰でもいいから、この退屈な毎日に刺激をもたらしてくれ。
少しの刺激でいい。贅沢は言わない。
ほんの一滴だけ、この乾ききった箱庭に潤いをもたらしてくれ。

クラスの全員が黒板に向かって祈りを捧げる。
その光景は、メッカに礼拝するイスラム教徒に通ずるものがあった。





刺激は、稲妻のように突然訪れた。





オカダのチンコがデカい。
オカダのチンコがデカい。
オカダのチンコがデカい。





パンツを破き天を貫くほど、オカダのチンコがデカいのだ。

オカダというのは社会科の教師なのだが、そのオカダのチンコがデカい。
あまりに、猛烈に、類を見ないほどにデカい。
そんな噂が風と共にどこからともなくやってきた。



僕たちのクラスは沸騰するような興奮で一気に熱を帯びた。
灰色だった学校生活が、オカダのチンコがデカいことで薔薇色に色づいた。
リボルバーのようにクルクルと同じ話を駄弁り撃ち合う毎日に、とんでもないジョーカーがやってきたのだ。



「今日は午後から雨が降るらしいよ」
「えー」

「今日の2限目は国語だって」
「ゲー」

「今日の部活雨降ったらなくなるってさ」
「マジか」

「二週間後からテスト週間だけど、調子どう?」
「勉強してないよ」





「オカダのチンコがデカい!!!!!」





毎日同じ制服に袖を通し、毎日同じ学校へ行き、毎日同じクラスメイトと顔を合わせる日々。
校内のどこを歩いても見慣れた顔で溢れていて、友達と話すことはいつもくだらない話ばかり。

けれど以前と違うことは、話のシメに必ず「今日のオカダのチンコ」を添えるようになった。
会話がひと段落すると、僕たちは決まってオカダのチンコのデカさについて語り合い、話に満開の花を咲かせるのだ。

そしてこの噂がもたらす熱気は僕たちのクラスにとどまらず、その垣根を越えて蔓延した。
学年全体が「オカダのチンコがデカい」という噂を耳に入れ、話題はオカダのチンコで持ちきりになったのだ。

クラスが、学年が、オカダのチンコがデカいだけで笑顔になる。
オカダのチンコがデカいだけで、僕たちは膝から崩れ、肩を震わす。
オカダのチンコがデカいだけで、なぜこんなにも笑顔になれるのだろうか。



いつしかオカダのチンコは「オカチン」と略されるようになった。
ドラゴンクエストがドラクエと略し愛されるように、オカダのチンコもまたオカチンと略し、学年中で愛されるようになったのだ。

誰かがオカチンと口に出せば、僕たちはそれに呼応するように「デッカ!」と叫ぶ。
餅つきのように、「オカチン」「デッカ!」「オカチン」「デッカ!」と、交互に叫び合う。
オカチンは臼の中でバチンバチンとつかれ、より粘りのあるオカチンへと変貌するのだ。

そんなオカチンだが、オカダがひとたび教室にやってくれば僕たちの肩はランマーのように激しく上下し止まらなくなる。
千切れんばかりに唇を噛み、血涙を流し、吹き出すのを必死に堪える。
すべてはオカチンがデカいのが悪いのだと、僕たちは被害者ヅラを決め込み口内の圧力を押さえつけるのだ。

それに考えてもみてほしい。
オカダにはナウマンゾウの鼻のようなデカいチンコがぶら下がっているのだ。
昨日までこれといって特筆することのない凡夫な教師だったオカダが、一夜にしてデカいチンコをぶら下げた怪物となったのだ。
ユーモアという言葉を体現したかのような存在が、面白くないワケがない。
メガ進化でもこんな局所的な進化は遂げないだろう。子供が泣いて逃げ出す。



それからというもの、僕たちは日々オカチンでチル、オカチルをしていたのだが、ある日クラスメイトの一人が妙なことを言い出した。



「オカチンがデカいって、あれホントなのかな」



ん?どういうことだ?
オカチンがデカくないワケがなかろう。
オカチンは類稀ないデカさだからこそ、我が校でここまで愛されている。



「デカいって、誰か見たの?」



さっきからコイツは何を言っているんだ?
我が校のマスコット的存在であるオカチンに無礼だぞ。
それに誰か見たのって、そりゃあお前...




あれ?





誰が見たんだっけ。





オカチンがデカいって。





どこの誰が最初に「オカダのチンコがデカい」って言い始めたんだっけ。





いや、確かにオカチンはデカい。
それは紛れもない事実である。

根拠となるのはオカダが履いているズボンだ。
オカダのチンコのラインが、オカチンラインがくっきりとそこに現れ、隆起している。



......いや、待てよ。
オカダは社会科教師であると共に、野球部の顧問でもある。
そしてオカダが毎日のように履いているズボンは、野球のユニフォームなのだ。

野球のユニフォームであれば、多少股間のラインが浮き出てデカく見えるのは、そこまで不思議な話ではない。
実際問題、野球部員の股間を一瞥すると、確かにオカダと同じように隆起している。
...これでは、オカチンがデカいと本当に言えるのだろうか。

焦った僕は、オカチンがデカいと最初に公言した人物を探すべく、道ゆく人に尋ね回った。



「おーい!今いい?」
「なんだ?急いでるんだけど」
「すぐ終わる!すぐ終わるから!」
「ふーん、まぁ言ってみてよ」
「あのさ...オカチンのことについてなんだけd
「デッカ!」



「ごめん!ちょっと今いいかな」
「ん?おいかわどした?」
「オカチンについてなんd
「デッカ!」



「あのさオカチn
「デッカ!」



ダメだ。この学校はオカチンがデカいと盲信した感染者共で溢れかえっている。
オカチンウイルスが校内中に蔓延し、「オカチン=デカい」という根も葉もない噂を信じきっている。

まともに会話ができなくなってしまった以上、オカチンのデカさが誠であるか僕自身の目で確かめなくてはならない。
使命感に駆られた僕は、トイレの入り口が見える柱の影でじっと息をひそめ覗き込んだ。

幸いにも僕が通う学校では、生徒と教師が同じトイレを使用する。
つまりオカダが入ったトイレに続けて侵入し、ヤツが小便をする便器の横をマークできれば、その隙間からオカチンを目視できるというワケだ。
小学生の頃は明確にトイレが分断されていたために、手軽に教師のチンコを覗くことはできなかった。本当にいい時代になったと思う。

しかしオカダはゴキブリのように神出鬼没なヤツなので、いつどのトイレに入るかは皆目検討もつかない。
校内のトイレは一階、二階、三階にそれぞれ一つずつ設置してあるのだが、当然なことにオカダの体は一つしかないため、今こうして張り込みしているトイレをオカダが使用しないことは往々にしてあるのだ。

そのため授業が終わるたび、僕は1〜3階にあるどれかのトイレを選択し、次の授業が開始する寸前まで張り込む。
授業は全部で6限まであるので、1日5回のオカチンチャンスがあるが、そう簡単にはオカダは姿を見せてくれない。

1回あたりの確率は1/3。
そしてそれが5回分になれば、その遭遇率は飛躍して上がる。

だがこの確率が適応されるのは、あくまでオカダが毎時間トイレに行く頻尿教師であることを前提とした場合に限る。
もしかしたら、1日に1回しか行かなくてもよいほどの貯水庫を体に内臓しているかもしれない。
オカチンのサイズも気になるが、膀胱のサイズも合わせて調査したいところだ。



そんなワケで、僕はオカダがトイレに入る瞬間をまだかまだかと日々待ち望んでいたのだが、その時は不意に訪れた。



それは僕が友達と小便をしている時だった。



僕の左側の空いた小便器に、なんとオカダが入ってきたのだ!!!

オカダは僕たちに軽く挨拶をし、己の照準を合わせるために深く俯く。





ーーー今しか、ないよな......





期待と焦りに満ちた表情。
言葉は交わさずとも、友達が何を言わんとしているかは顔を見ればわかる。



今だ。ヤツのチンコを見れるのは、今しかないんだ。



ゴクリと生唾を吞み込んだ。

僕はオカダにバレないように、慎重に体を左に傾ける。
少しずつ、アハ体験の如く、それはもうゆっくりと。
その奇妙な体勢は、ジョナサン・ジョースターの立ち姿に酷似していた。

同時に小便の軌道が左に逸れ、左の太ももにビチャビチャと跳ね返る。
じんわりと、気持ちの悪い感触が肌をつたう。



ーーーもう後には...退けないッ!



この太ももがぐしょ濡れになるのが先か、オカチンを見るのが先か。

一刻を争う中、僕は決死の覚悟で顔を左下に向け、オカダのチンコを覗いたのだ!










デッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッカ。



嘘みたいにデカい。

なんだコレ、こんなデカいのがオカダからぶら下がっているのか。
デカい。驚くほどにデカい、デカすぎる。
デカいという形容詞では抱え切れないほどのデカさである。

それに、こんなにデカいものを身ひとつで支え切れるのだろうか。
デカいだけじゃなくて、重すぎて前傾姿勢になりそうだ。

......そして、確かにコレはナウマンゾウの鼻だ。
「ゾウさんゾウさん」としんちゃんが歌いながら、おもむろにパンツの中からコレを出してきたら、満場一致で放送禁止になるほどにデカい。
お馴染みの「げんこつ」では片付けられないほどのデカさ。

いいかいしんちゃん。これはただのゾウさんじゃなくて、ナウマンゾウさんなんだよ。
そしてこのナウマンゾウさんは、公共の場ではあまり見せないようにしようね。
いくらしんちゃんが幼稚園児でも、その大きさでは逮捕されかねないんだよ。
ううん、しんちゃんが悪いんじゃない。
しんちゃんのゾウサンが、ナウマンゾウさんだったのがイケないんだよ。



それにしても、噂は本当だった。
オカチンは、オカチンたるゆえのデカさを兼ね備えているのだ。

気づくと、胸の中にあった霧が綺麗さっぱりなくなっていた。



「オカチンはデカい」



かつて噂だったものが真実となり、この事実は瞬く間に学年中に広がった。
僕たちのオカチンへの愛はより一層増し、校内がいつも以上に笑顔で溢れた。

そして、皆の間でオカチンは「オカダのチンコ」という本来の意味の範疇を越え、物や事が大きいことを表す形容詞として拡大解釈され、使われるようになったのである。



「今日の雲、なんか黒くてオカチンじゃない?」
「帰る頃には降ってきそうだな」

「今日の5限の化学、自習だって!」
「マジか!オカチン!」

「今日の顧問の態度、マジオカチンじゃね?」
「わかる。今日はマジでオカチンデーだわ」

「オカチンがオカチンでオカチンになったんだよ!」
「それってオカチンじゃん!」



もはや造語である。
「大きい」の形容詞として使われていたオカチンは、いつしか言語の次元を超越した存在になった。

日本語、英語、中国語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、アラビア語......
世界には様々な言語が存在するが、そのどれもが単語や文法に気を遣って文章を成り立たせなくてはならない。
一つひとつの単語を覚えるだけでも膨大な時間がかかるというのに、さらにそれらを適切に組み合わさなければならないのだ。

しかし、僕たちはそんな苦労をする必要はもうなくなった。
「オカチン」ないしは「オカダのチンコ」と声に出せば、万物の意味が理解できてしまうのだ。

主語、述語、動詞、助詞、副詞、形容詞...

それらすべてが「オカチン」で網羅できてしまう。
これを言語の頂点と言わずして何と言えよう。



世界のカラクリをひとつ解き明かしてしまった僕たちは、オカチンオカチンと連呼する日常が始まった。

今日もグルーバルフリーの先駆けを行く。

オカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチンオカチン。





放課後、学年集会が開かれた。