このブログを見てくださる皆様へ、感謝と共に僕が受けている恥辱を述べたいと思います。

くだらないブログを書き始めてそろそろ1年が経とうとしている。

とはいえ月に1、2コ書く程度でありお世辞にも速筆とは言えないが、生活の片隅にブログがあるというこの日常がすっかり板についてきた。

 

飯を食う時も風呂に入る時も鼻をかっぽじる時も『ブログ』という3文字がウンコのように脳裏にこびりついて離れない。

僕の生活の一部にブログがあるのではなく、ブログというエンタメの一部に僕が存在しているのではないかと大真面目に考える時がある。

 

 

 

ブログは呪いなのだと思う。

いつ如何なる時もブログが握る手綱に僕の首は繋がれていて、ヤツの声ひとつで僕はパソコンの前に縛り付けられ、操り人形のように動かされてしまう。

 

ただ不思議と不快感や嫌悪感はない。

結果抗うことを早々に止め、白目を剥きながらバコバコとキーボードを叩いてしまうのだ。

 

 

 

そう、そんなあられもない姿で、今こうしてブログを書いています。

 

 

 

さて、ブログを書き始めて生活に彩りが滲み出たワケだが、ブログを書くという行為には少なからず書き手の「見てほしい」という承認欲求的なものが孕んでいる。

そしてその欲求を満たしてくれるのは他でもない、今そうやって鼻の穴を広げてスマホを覗き込んでいる皆様である。

 

これは大変感謝するべきことであり、いつも僕の柔らかいところを刺激してくれてどうもありがとうございます。もちろんこの文章も白目を剥き出しながら執筆しております。

 

だが、皆様に感謝の言葉を伝えたいと同時に、僕が受けている恥辱を述べたいと思う所存である。

 

 

 

僕は日々ブログで「チンコ」だの「ウンコ」だのと小学生の戯言みたいな発言を度々するのだが、実生活で僕の口からこんな言葉は一切出てこない。

当たり前である。22にもなって公衆の面前でこんなことを叫んでいたら、YouTubeやTikTokなどのありとあらゆるSNSを駆使され社会的に抹殺されるからだ。

 

しかし言いたい。チンコと叫びたい。大谷翔平ばりの剛腕で正論を振りかざしたい。この世から一匹残らず冬派の人間を駆逐したい。

 

この衝動的欲求は今も腹の底でマグマのように煮えたぎっている。が、想定される未来に恐れた僕は偽りの紳士の仮面を付け、ニューバランスをぎこちなく履き、ワックスをワシャワシャと付けた歪な髪で日々過ごしているのだ。

 

 

 

そこでブログの登場である。

 

 

 

こうした実生活において言いたくても言えなかったポイズンを吐ける痰壺みたいな存在がブログなのだ。

いくら下品な思想を内に秘めてようが、ここでは「表現の自由」として全てを許してくれる。

 

ブログは聖母マリアなのだ。母性を具現化したものがブログであり、依存するなと言う方が無理がある。

結果として僕はケダモノになり、ブログからでしか得られない栄養素をキーボードを通して点滴され生活しているのである。

 

そうやって日々の鬱憤をブログに発散し、実生活では波風立てず「紳士なおいかわさん」として穏やかに生きている。

そんな楽しいブログ日和をエンジョイしていたワケなのだが、数ヶ月前から少しずつ雲行きが怪しくなってきた。

 

 

 

 

 

母「変なブログ書いてるね」

 

 

 

 

 

いきなりクライマックスである。これを修羅場と言わずして何と言おうか。

 

先にも述べたが、このブログは日々言いたくても言えない言霊を吐き捨てる痰壺として機能している。そしてそれは1年間吐きに吐き続けた痰壺である。スカンクも気絶するほどの激臭。目に沁みるタイプの刺激臭。世のYouTuberたちが「オエェ」と言うためだけに商品紹介したくなるほどの強烈な臭い。

その痰壺というよりもはやパンドラの箱に近い禍々しさを放つ入れ物は、実生活の人間には死んでも開けられたくない特級呪物であるが、あろうことかこの世で最も近い身内である母が「開けちゃったんだけど」と澄ました顔で言ってきたのだ。

 

これは顔から火が出たどころの騒ぎではない。火の神であるプロメテウスが両の鼻から現出するレベルの恥辱を浴びたのだ。

再起不能レベルの恥を喰らった僕だが、「まぁ趣味みたいなものだから」と精一杯の涼しい顔を湧き出るプロメテウスを抑えながら作り母を一蹴した。しかしながら実際の表情はザブングル加藤であり、涼しさとは対極の造形であったと今では思う。

 

そんな恥辱を受け、実生活の人間にこのブログを見られる恐怖を知ったワケだが、母の一件を境に痰壺の存在が徐々に俗世の人間に漏れ出した。

 

 

 

これまた数ヶ月前の暑い夏の日、僕は部活の合宿で沖縄に向かうことになった。

合宿は順調に進行し、沖縄という本州とは気候も文化も違う異界の地で夏を満喫していたのだが、事件は突然起こったのだ。

 

3日目の夜、ホテルで飲み会をしようと同期からの誘いがあり、お酒とつまみを買いに僕たちはスーパーへと向かった。

沖縄のスーパーは内装こそ本州とさして変わらないが、ジューシー(炊き込みご飯)やミミガー(豚の耳)など、少々風変わりな食品が陳列されていて非常に面白いものだった。

そんな変わった商品を横目につまみになりそうなものを随時カゴに放り投げていたのだが、海鮮コーナーを通った際に衝動的にもずくが食べたい欲求に駆られ、もずくのある場所へそそくさと1人で向かった。

そこには「プレーン」、「シークワーサー」、「柚子」の3種類のもずくが陳列されてあり、瞬間僕は般若の顔で奥歯をギリギリと鳴らし始めた。

 

 

 

以前このブログにて、僕は柚子に親を殺された大の柚子嫌いであることを公言したのだが、そんな記事を書いた後ということもあり柚子を見ると全身の細胞が沸騰するという特性を会得したのである。

 

www.akito-oikawa.com

 

つまり今目の前にいるコイツはもずくの顔をした「YUZU」であり、本来もずくが主役であるところをコイツは何食わぬ顔をしてその座を分捕っているのだ。

そんな厚かましいヤツを目の当たりにすれば当然般若の顔になる。そうしてしばらくもずく(YUZU)を手に取って硬直していたのだが、同期の1人である女友達から不意に声をかけられた。

 

 

 

友達「柚子苦手だって言ってたもんね」

僕「そうなんだよ。柚子の香りというか、こう...ちょっとね...」

 

僕「...」

 

 

 

僕「...えっ?」

 

 

 

なぜこの子は僕が柚子嫌いなのを知っているのだろうか。

僕は家族や地元の友人以外に、柚子が嫌いなことを言った記憶はなかったのだ。

 

それなのに...どうして?

 

嫌な予感が背筋を凍らせる中、恐る恐る聞いてみた。

 

 

 

僕「お、俺...誰かに柚子苦手とかって言ってたっけ...?」

友達「ううん、別に」

僕「え...じゃ、じゃあその...それは一体どこで...」

 

 

 

 

 

友達「ブログ見ちゃった」

 

 

 

 

 

どうしよう。クライマックスである。

只今の空模様はバケツをひっくり返したような土砂降りであり、どす黒い暗雲が立ち込めている。

 

母にブログを見られたのは鬼ほど恥ずかしかったが、100歩譲って身内なので笑って見過ごすことができるかもしれない。だが友人、さらに女性となれば話は別だ。

先ほどからこのブログは痰壺であると例えているが、これはあくまで例えの一つであり、その本質は恥部の塊であると言える。

恥部というのは言ってみればチンコであり、このブログは全裸の僕と同義であると言っても過言ではない。生まれたての姿の状態で、身も心もありのままを晒せる環境がブログなのだ。

 

つまり、この沖縄という遠く離れた地のスーパーにあるもずくコーナーで、今しがた僕は彼女にフルチン全裸姿を見られたのだ。

これは公然わいせつ罪で逮捕されても文句のつけようがないレベルの罪であり、活火山である桜島がもし鹿児島から消えれば、「それは今僕の顔に付いてますよ」と言えるくらいの恥辱を受けたのである。

 

それに柚子の記事は4月に書いたものだ。沖縄合宿は9月上旬に行われたため、4月から9月にかけての別の記事も見られている可能性が高い。穴があったら入りたい。

沖縄県警が駆けつける中、僕は「あ、そうなの」と涼しい顔を再び作り、シークワーサー味のもずくを震える手でカゴに放り込んだ。

 

 

 

その合宿以降、部活の後輩やゼミの友人が「見ちゃいました」と耳打ちに報告してきた。その度にプロメテウスが出たり噴火したりして顔面が大忙しだったが、少しずつ恥にも慣れてきてしまった。

ブログを見られて恥ずかしいと思いながらも、同時に見てくれて嬉しいという感情が芽生えるようになり、気づくと露出狂と同じ思考回路になっていたのだ。

このブログを見るということは、アナタは僕の全裸を見に来ているのだ!むしろわざわざ覗いてきたアナタにも問題があるんじゃないか!この物好きが!変態!という思考に切り替わってからというもの、ブログを知人に見られる恐怖心はだいぶ和らいできた。

 

 

 

ということで、今後とも『フルチン痰壺ブログ』をどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

【あとがき】

祖父や祖母もこのブログを見ているそうです。