僕は外食をする時には必ず特盛でオーダーする。特盛がなければ大盛り。これはたとえペンギンが空を飛び始めたとしても決して揺るぐことのないマイルールである。
しかし世の中の「特盛」には心底ウンザリしてる。あれのどこをどう見たら特盛になるんだろうか。見た目だけじゃない。量ももちろん特盛じゃない。特盛の意味わかってらっしゃる?「特別な盛り方」と書いて特盛。大盛りとはワケが違うのは一目瞭然だろう。
それが、なんだ。
ほとんどの店では大盛りに毛が生えたくらいの量で提供してきやがる。「ヘイ特盛お待ち!」バカにしてんのか?大盛りとほぼ変わらねぇじゃねぇか。それホントに特盛だと思って提供してんのか?内心「自分じゃ絶対頼まない」とか思ってるけど店の方針だから仕方なく出してないか?というか大盛りすらこれは果たして大盛りなのかと疑うレベルの量の少なさ。大盛りで成人男性の胃が満足するワケがねぇ。並盛りなんて入院食くらいのひもじさ。「盛り」の概念が収縮している。
毎度毎度『特盛』のサイズを信じて注文するが最後、出てくるのは大盛り。違う、特盛を出せ。料金が多少高くなっても構わない。頼むから特盛を出してくれ。
まさか...ひょっとしてアレか?大盛りや特盛という概念そのものを小さくしてカントリーマームみたいにステルス値上げする戦略を国単位で図っているのだろうか。物理的なサイズや量の現象ではなく、ついに概念にまで手を付け始めたのか?もう何も信じられない。消費税みたいに量も増やして欲しい。
そもそも特盛を大盛りより少し多ければ特盛になるという考えを持っている人が多すぎる。特盛とは特別な盛り。つまり常軌を逸した盛り方である必要がある。
並盛りなら茶碗一杯分のご飯で構わない。大盛りならその1.5倍か2倍くらいあれば文句は言わない。
だが特盛は違う。特盛は茶碗一杯分の2倍か2.5倍くらいで収まる器ではないのだ。常軌を逸した盛り方であるならば...少なくとも5倍以上は見積もってほしい。カリンの塔みたいに器を突き抜けて米が隆起していてないと特盛とは到底呼べない。
「あのぅ...お客様、特盛は相当な量がありますけれど...食べれられますか?」
「えっ...そんな華奢なカラダで...ほっ、本当に大丈夫ですか?」
「食べきれなかったらヒドイですよ!知りませんからね!オーダー入ります!特盛一丁!」
(アイツ...特盛に手ェ出しやがっただとォ!?アレを目の前にして小便ちびるヤツだっているくらいだってのに...)
(フッ...だが坊主...その勇姿、見届けてやんよ...)
「お待ち!特盛でございやす!」
このくらいの緊張感が欲しいのだ。後ろに軽くギャラリーができて食べ切れるかわからない恐怖を植え付けてくるのが特盛なのだ。一日に必要なカロリー数に到達するか超えるくらいの量が眼下に広がり、それで腹がはち切れるかはち切れないかの瀬戸際で完食して、「あれ...僕、またなんかやっちゃいましたか?」の顔をしたいのだ。
それが、なんだ。
出てくるのは大盛り。特盛は?特盛は何処へ?デカい器なだけで乾燥機の適正ラインくらいしか米が入ってねぇじゃねぇか!!!!!肉もなんだァ!?コレェェェェェ!?『銀の匙』のスカイツリー豚丼見てからもういっぺん作り直してこいやァアアアアアアボケェエエエエエエ!!!!!
いい加減「盛り」に関する法律を整備してほしい。
具体的なグラム数やイメージ写真がなければ、我々は店側が思う「特盛」に付き合わされているだけなのだ。店長が寿司3貫くらいしか食べれない人ならば、たとえ特盛であってもその量は高が知れているだろう。
盛りの概念とは人によって異なる曖昧なものであり、それを盾にすればどれだけ量が特盛と言えなくとも違法にはならない。それこそが盛りの抜け穴であり、我々にはどうすることもできない問題なのだ。
メガ盛り、ギガ盛り、デカ盛り、山盛り、特盛、特上。
これらすべては店側の価値観で決められている。ちゃんちゃらおかしな話だとは思わないだろうか。だいたいメガとギガってなんだよ。バカなのか?じゃあアレか?ギガ盛りって名乗るんだったらメガ盛りの1024倍の量で出せよ。消費者ナメんなよ。米とうどん湯掻いて待ってろよ。
わかりました。政治家になります。
政党は『概念をぶっ壊す党』です。清き一票をよろしくお願いいたします。
【あとがき】
二郎ラーメンの小で腹パンでした。店によって価値観はそれぞれですね。