少し早めの桜が咲き誇り、一面にはピンクの絨毯が敷き詰められる。
陽の沈む時間が徐々に遅くなって、長袖だと汗ばんでくる日も増えてきた。
そんなことを感じながらパステル色の空を眺めていると、そろそろ春が来たんだなと思う。
出会いと別れの季節。4月に入って僕は大学3年生になった。
大学生。うんうん、実に耳障りの良い言葉だ。
小学生の時、僕は父親に「ダイガクセイってなーに?」と純粋無垢な瞳を向けて聞いたことがある。
父は「人生の夏休みだよ」とだけ言った。
夏休みという小学生からしたらこの世のどんなイベントよりもテンションの上がる言葉に、僕は目をさらにキラキラと輝かせた。
友達とゲーム、虫取り、ザリガニ取り、お祭り、プール、花火、肝試し...
両の手では数え切れないワクワクが、大学生ではたくさん味わえるというのか。
早くダイガクセイになりたい!
ダイガクセイになって夏休みをエンジョイしたい!
しかし、”人生の”夏休みとは一体どういうことだろう。
夏休みは1年に1回やってくるビッグイベントだが、そのイベントを人生単位で考えたことなど一度たりともなかった。
人生における夏休み?どういうことだろうか。
ダイガクセイになると日本が数年間常夏になるとでもいうのか。
しかし僕が今こうしている間も、ダイガクセイというのは日本のどこかに生息している。
だが今はまだ冬じゃないか。日によっては水溜りが凍るほどの寒さだ。
お父さんは僕に嘘をついているのだろうか。
大学生になった今でもその言葉の意味はわからない。
わからないが、1つだけ確かに覚えていることがある。
「人生の夏休み」
そう言った父親の表情は、この世のものとは思えないほど悲しい顔をして、ただ遠くをじっと見つめていたのだ。
まぁそんなことは置いておいて、父の言葉をそのまま汲めば僕は今まさに夏休みをエンジョイしていることになる。
もはや今が春なのか夏なのか皆目検討もつかないが、世の中にはわからないことがたくさんあると父が教えてくれた。
それに僕ももう二十を超えたいい大人だ。
夏休み気分でいるのも悪くないが、そろそろスーツの似合う男になるために自分を磨こうではないか。
さて、そんなわけで東京に引っ越してきた。
僕の大学は3年生になるとキャンパスが移り、東京に家を構えた方が何かと都合がいいのだ。
これから始まるウキウキ東京ハッピーライフ。
僕はシティボーイに生まれ変わった。どうだ、いいだろう。
おい、そこの埼玉人、グンマ人。
これから僕は都会人になる。これがどういうことかわかるか?
端的に言うと戦闘力が53万になるのだ。
焼きそばパンだ。まずは焼きそばパンを僕に献上しろ。
貴様ら田舎人に人権などない。
どうした、都会人に成る僕が怖いか。
そんな都会人から命令される気分はどうだ!気持ち良いか!
ハハハ、そうだろうそうだろう。
貴様らが焼きそばパンを買ってくる間、僕はSHINJUKUにふらっと行ってくるとしようか。
都会人の僕は平日休日問わずSHINJUKUに足を伸ばせるが、貴様らは休日にどこへ行くのだ?
おっと失敬。貴様らが休日に行く場所はイオンしかなかったな。
田舎人に選択肢などあるはずないか、悪い悪い。
だが貴様らのような愚民にはお似合いであろう。
イオンとかいうひび割れた荒野にポツンとある水辺のような場所に行って、「キャー!スタバっておしゃれ〜!」とか、「うっそー!イートインスペースひろ〜い!」とか程度の低いことではしゃいでいるのだろう。
眩い光に包まれたゲームセンターに翻弄され、取れもしない使いもしないショーケースの中のフィギュアにヨダレを垂らし、金を吸い取られていることだろう。
だが決してイオンは悪い場所ではない。
数多の専門店が老若男女問わず、僕たちのような田舎人を優しく受け入れてくれる。
もしイオンがない世界線があったとするならば、僕たちの休日は大学生になってもカブトムシ取りくらいになっていたことだろう。
しかし外の世界はもっと広いのである。
そして僕にはTOKYOが待っている。
さようなら、寂しくも美しいグンマ。
さようなら、僕の故郷。
4畳半だった。
玄関を開けて2秒で奥の壁に触れる。
サトウのごはんもビックリな狭さ。
縦に伸びるウナギの寝床のような一室。
そんな部屋にベッド、テーブル、椅子、棚、冷蔵庫を置いたら部屋がギチギチに埋まってしまった。
そこに□□□□←こんな形の家具を見つけて押し込めば、テトリスして全部消えるだろうか。
しかしそんな都合の良い家具も見つかるはずもなく、家から持ってきたリングフィットネスは敢えなく送り返されることになった。
それは僕がデブになるという未来が確定した瞬間だった。
僕の唯一の運動手段はリングフィットネスであり、これが運動の全てだった。
リングフィットネスをダンボールに梱包する際、ガッキーの目から涙が流れるのが見えたような気がした。
肩を落として窓から空を見上げる。
淡い水色がビルの隙間から見えた。
そんなルンルン東京ハッピーライフが始まって1週間ほど経った。
1週間も生活していると色々慣れてくるもので、意外にも4畳半暮らしは悪いものではなかった。
ベッドを中心としてこの部屋は太陽系と酷似するものが形成され、それぞれの惑星の距離感は驚くほど近かった。
手を伸ばせば全てのものにアクセスでき、水を飲むのも寝るのもウンコをするのも手を伸ばせば事足りるのである。
恐ろしく快適だった。
寮生活なので料理する必要もないし、掃除する時も面積が□□□□←これしかないので10秒もあれば完了する。
一人暮らしなので洗濯も少なく、屁を放こうが鼻くそを丸めようが誰にも何も言われない。
もう一度言おう、恐ろしく快適なのだ。
確かに狭いが窮屈ではない。
試しに友人を呼んでみたが、数分ほどして「狭い」の声がしなくなり顔を見ると、そこには満更でもない表情があった。
フハハ、田舎人たちよ。見ているだろうか。
土地の広さだけでイキがっているのは実に滑稽である。
ここTOKYOには貴様らが見ることのできない様々な娯楽がある。
貴様らの娯楽はイオンに帰着する一方で、僕のような高貴な人間は選択肢がバイキング状態だ。
せいぜいその小さな窓から見える東京の暮らしに指を咥えて見ているがいい。
なんて愉快なんだ、東京生活とは。
この部屋の狭さに慣れた今、僕に弱点などないのだ!
気づくと僕はスター状態になり、ビカビカと体中から虹色の火花を撒き散らして電車に乗り込んだ。
耳にイヤホンをはめ、「テッテッテーレテッテッテーレテッテッテッテッテーレ」とけたたましく鳴るBGMを爆音で流しヘッドバンキングする。
乗客たちはそんな虹色に輝く僕を見て眉をひそめていたが、今の僕は無敵であり触れればひとたまりもない。
マリオと違って僕たちの残機は1つしかないのだから、怯えるのも無理もないだろう。
途中、新宿駅でラビリンスに迷い込んだ。
地元の電車の路線は「こっち」と「あっち」の2本しかなかったが、何だここは。ジャングルなのか。
電光掲示板の指示に従って歩みを進めても、気づくともといた場所に戻ってきてしまう。
明らかに空間が歪んでいた。
どうして皆は迷いもせず一直線に目的地へ向かえるのだろうか。
駅内を歩く人は何かに引っ張られているような速度で歩き、誰かに操られているようにも見てとれる。
そうか。きっと彼らの頭の中にはマイクロチップのようなものが埋め込まれていて、筋肉に電気信号が送られているに違いない。
東京とはそういうところだ。
サイボーグが蔓延っていても何ら不思議なことではない。
さて、マイクロチップを埋めようか。
僕の戦闘力は53万なのだから。
【あとがき】
今日は部屋でブログを書くだけで1日が終わりました。
結局無事に下北沢に辿り着くことができたのですが、パンクの世界すぎていつの間にかスター状態の効果が切れていました。
東京は舐めちゃダメですね。