東京に来て電車に乗る機会が増えた。
これまでの人生、移動手段の多くを自転車一本で生きてきた僕には、電車というのは雨風を凌げる魔法の箱に他ならない。
自転車はその使い易さだけ見れば最強だが、天候や地形に左右されまくる。
雨が降ればグッショグショに濡れ、風が吹けば一ミリも進むことはない。
そこで電動自転車が登場するワケだが、一台10万円もしやがる。
自転車ごときに10万円もかけられない僕は、仕方なく2万円もしないノーギアチャリに跨る。
そうして額に汗してヨイコラ漕ぐのだが、その後ろからマダムたちがビュンビュン電動自転車で抜いていくのだ。クソッッッッッ!!!
さて、そんな中での電車である。
アクセルもブレーキも踏まずに、ただ突っ立っているだけで勝手に前へ猛スピードで進む。
こんなに快適な乗り物があるだろうか、いやない。
だが宿命なのか、東京の電車というのはどこもかしこも人で溢れている。
幸いにも鮨詰め満員電車にはまだ遭遇していないが、それでも群馬と比べると乗客率は歴然である。
群馬の車内では鴨川に座るカップルのような間隔があちこちできていたのに、今では間隔が空くどころか土手に座ることもできない。
当然ながら、彼女もいない人間は仮に空いていたとしても座ることすら許されない。
そうだ、僕のことだ。
そうして僕は吊り革にだらしなく手をかける。
立ち込める電車特有のなんとも言えない匂い。普通に臭い。
不意に列車が大きくガタンと揺さぶられると、吊り革を持つ手の握力が毎回自己最高記録を更新する。
吊り革を持たない人間は、どうやって体を支えているのだろうか。
足を広げて立っているのならまだしも、ピタッと閉じて立っている人を見ると物理的にそれはどうなのかと問い詰めたくなる。
物体は3点以上で支えると非常に安定しやすくなると聞いたことがある。
2点だと一方の力には強く、もう一方の力には弱い。
そして1点では全方向が弱点になる。
もはや背水の陣どころの騒ぎではない。四面楚歌である。
彼らの列車に安息の時など訪れないのだ。
しかし、どうしてそこまでして吊り革を持たないのだろう。
スマホは片手でも操作できそうな気がするが、一体何が彼らをそこまで動かすのか。
吊り革に捕まると、体が内側から破裂する呪いにでもかかっているのか。
彼らの根性には度々驚かされる。
と、まぁいつもくだらないことを考えながらスマホをいじって乗車している僕だが、そんな僕にも先日四面楚歌さんがやってきてしまった。
僕の神聖なスマホの中に、エロ広告が広がったのだ。
それはもう実に鮮やかなテロであった。
スマホをスクロールしたら、エロ広告がニキビみたいににゅるっと出てきたのだ。
瞬間、僕の社会的地位は奈落の底へと落ちていった。
全方向に隙間なく人間がいる中でのエロ。
これはもう、公然わいせつ罪で逮捕されても弁明の余地がないほどの明らかなるギルティである。
だが、僕が許せないのはエロ広告が出てきたそれ自体ではない。
当然だがスケベなサイトを見ていたら、そりゃあもう四方八方からエロ広告で埋め尽くされるのは目に見えている。
下からのニキビ、横からの常時攻撃表示、画面全体の範囲攻撃、何でもござれだ。
これを受け入れてはじめて、僕たち一般市民はスケベなサイトを見る権限が与えられる。
仕方ない、世の中”タダ”でまかり通るほど甘っちょろい世界ではないのだ。
だが、場合によってはニキビのような広告ですら作品の一部になるのだ。
カレーでいうところの福神漬け、牛丼で言うところの紅しょうがのような感覚でエロ広告を嗜む。
眉を顰めて「邪魔だ」と迫害を受ける広告も、タイミングさえ合えば歓迎されるのだ。
エロというのはそれまでに奥が深く面白い。
ただの下ネタだと思うなかれ。スケベは紳士である。
だが、先ほど僕が見ていたのは断じてスケベなサイトではない!
ワックスの記事だ!!!!!
大学3年になり、そろそろ洒落っ気づきたい思い調べていたワックスの記事。
そんな純粋無垢な気持ちで見た健全なサイトに、なぜエロ広告が挟まるのだ。
邪魔だ邪魔だ。ワックスの広告にそんな広告など微塵も求めちゃいない。
確かに語呂だけ汲み取ればワックスもスケベな単語にも聞こえなくはないが、その意味合いは全く違う。
しかし、まったくどうしてこんな非人道的なことが安易とできるのかが本当に理解できない。
人の尊厳を剥奪するのがそんなに楽しいのか。
法で裁けない悪というのが存在するならば、デスノートの次にこのエロ広告テロが挙げられることだろう。
広告界のLよ、頼むから黒幕を見つけ出してくれ。
いや、待てよ。
少し考えればわかる。黒幕はワックスの記事を書いたブロガーだ。
ふざけんな。エロ広告貼り付けるな。ワックスごときで変な気持ちにさせてくるな。
罰せられるのはブロガーだろうが。こんなの冤罪である。
痴漢冤罪よりも100倍悪質で特定できないじゃないか。
僕はただオシャレがしたかっただけなんだ。
オシャレして、女性にモテて、付き合って、それで...あれ、不純じゃないか。
そんなことを考えること0.5秒。
事態の深刻さに気づいた。
眼下にはあったはずのワックスの記事はなく、代わりに一面ピンク色の広告で染まっていた。
艶かしい女性の裸体。乳首のところは眩しく発光している。
女性は上下に動き、乳房がブルンブルンと激しく揺れていた。
僕が赤面するのと同時に、周囲の視線はそれはそれはもう真っ青なものをこちらに向けていた。
言葉は発さずとも、何を言わんとしているかはすぐにわかった。
「お前何見てんの」である。
冷たく僕を刺す視線。
やめてくれ、そんなゴミを見るような目で僕を見ないでくれ。
僕はただ...ただ、おすすめのワックスを知りたかっただけなんだ。
一刻も早く逃げ出したかったが、ここは猛スピードで進む電車の中。
満員電車に揺られ、僕は声も出せずにただじっと下を俯いていた。
もはやエロ広告に痴漢されていたのだ。
必死に恥辱に耐え、悶えていた。
この時の電車は快適な乗り物などではなく、不快極まりない乗り物へと変貌していた。
しばらくして、電車がホームに着いた。
僕は風のように下車し、履歴を汚されたスマホを抱き抱え涙を流した。
そうして家に帰り、その広告を改めて開いてみた。
興奮した。