Mにだって人権はあるハズだ。

突然だが、皆さんは「S」だろうか、それとも「M」だろうか。

 

 

 

今ここで白黒ハッキリつけてSかMか答えなくて結構である。

どちらかと言えばSか、Mか。それくらいの曖昧な回答で構わない。

 

特に思春期の頃によく見られ、しばしば迫られる2択の質問であるが、でもどうか安心して欲しい。

ここでは僕以外誰もアナタを見ていない。

己の胸に手を当てて、どちらか答えを決めて欲しい。

 

 

 

 

 

ちなみに僕は、どちらかと言えばそれはもうバッチバチのMである。

まごうことなきM。揺らぐことのないMである。

 

Mに生まれ、Mに育ち、Mに死ぬ。

それが僕である。

 

 

 

だが、いつもこの質問をされて不思議に思うことがある。

「SかMかと言われればバッチバチのMです」と言うと、途端にゴミを見るような目で僕を見てくるのだ。

 

そして二言目には「キモっ」である。

内臓の話ではない。軽蔑の意味をたっぷりと内包した小籠包の話である。

 

聞いてきたのはそっちなのに、正直に答えたらこの扱い。

ちょいと酷すぎやしないだろうか。

 

 

 

 

 

別の日、別の人から同じ質問を受けた。

当然、僕は満面の笑みで「Mです」と答える。

 

するとたちまち質問者は口角を下品に吊り上げ、「キモっ」とだけ言い残して去るのである。

僕は彼を不快にさせる何かをしてしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

別の日、別の集団から同じ質問を受けた。

 

「Mです」

 

群がる集団は、やはり「キモっ」とだけ言い残して蜘蛛の子を散らした。

「M」という言葉には、鬼ごっこを開始する号令のような意味が備わっているのだろうか。

 

 

 

 

 

別の日、別の人から同じ質問を受けた。

 

先ほども言ったが、僕は生まれた時からMであり、Mを誇らしく思う人間であることに違いはない。

だがこれまで振り返ってみると、Mと答えた途端、会話が即終了してしまう。

なので、今回は試しにSと答えてみた。

 

 

 

「Sです」

「え、マジで?本当はどっちなん?」

 

「・・・」

 

「Mです」

「キモっ」

 

生徒Eは逃げ出した。

 

 

 

これは何かの罠なのだろうか。

今しがた、Mに誘導されたように思えた。

 

いや、単に僕が嘘をついていたのがバレてしまったのだろうか。

それとも、この生徒は「M」という回答を望んでいたのだろうか。

 

いくら答えを探しても、何も見つからなかった。

 

 

 

 

 

別の日に別の人から同じ質問を受けた。

 

この間の会話にもならない会話でハッキリしたが、「M」と答えると会話が即終了してしまうという認識で間違いないようだ。

よし、それならば今回はSであることを全面に押し出してみようじゃないか。

 

僕はサディスト。僕はサディスト。僕はサディスト。

よしよし、いい感じだ。

 

 

 

「Sです」

「え、マジで?本当はどっちなん?」

「Sです」

「えー?本当?本当はどっちなん?」

「Sです」

「んー...どうなんだろう?実のところはどっちなん?」

 

 

 

僕は今ドラクエでもやっているのだろうか。

「Mです」と答えない限り先に進めない、これはそういうシステムなのだろうか。

 

 

 

しかしこれでハッキリした。

この村人は、僕が「M」であることを望んでいる。

 

だがここでMと答えたが最後、この村人も過去の者と同様に逃げ出していくだろう。

何か策を講じない限り、この負のループからは逃げ出せそうにない。

 

 

 

「で、ホントはどっちなん?」

「うーん、どっちでもないんだよね」

「何それ、つまんな」

 

村人Fは逃げ出した。

 

 

 

つまんないって何だろう。

皆誰しもが自分をSかMか断言できるワケではないと思うのだが、どうやら曖昧な回答をするのもNGらしい。

 

正直にMと答えれば逃げられ、Sと答えてもドラクエ状態になる。

さらにはその中間を取るような答えでも逃げられてしまうときた。

 

ふむ、これは想像以上に難しい質問である。

 

 

 

 

 

というか、なぜMである人間はここまでキモがられているのだろうか。

逆にSはキモくないのだろうか。その違いが全くわからない。

 

M、またの名をマゾヒスト。

罰や痛みを受けることに喜びを感じる性癖。

 

いいじゃないか、苦を喜んだって。

過酷なことや逆境が快楽に感じることのどこがキモいんだ。

 

誰も傷つけない。誰も不幸にならない。

なんて平和主義的な性癖なのだろうか。

 

 

 

僕から見ればSの方がよっぽど気持ちが悪い。

痛みを他者に与えることに、この上ない喜びを感じる性癖。

 

普通にヤバすぎる。倫理観ゆるキャラなのだろうか。

サイコパスと言われてもぐうの音が出ないほどのイカれ野郎である。

 

他者を虐め、白目を剥きヨダレを垂らしている人間の方がよっぽど悪だし気持ち悪いというこの感情は間違っているのだろうか。

それならば、他者に虐められ、白目を剥いてヨダレを垂らしている人間の方が100倍マシである。

 

 

 

僕はMだ。それでいいじゃないか。

 

 

 

 

 

別の日、別の人から同じ質問を受けた。

 

 

 

「Mです」

「キモっ」

 

 

 

「...嬉しいです」

「えっ?」

 

「嬉しいです」

「え、キモ」

 

「嬉しいです」

「キモ...」

 

「嬉しいです」

「・・・」

 

 

 

「罵ってくれてありがとう。ちなみに君はどっちなんだい?」

「は?俺はSだけど」

 

 

 

「キモっ」

「...は?はぁぁぁぁぁぁあああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 

 

 

Mは痛みを無効化あるいは回復するが、Sは防御力0である。

 

優れているのはMだとは思わんかね。

改めて聞こう。皆さんはSだろうか、それともMだろうか。